リネンの起源

 

「最古の痕跡」

2009年9月23日付けの日本経済新聞に、米国の権威ある科学雑誌「サイエンス」でグルジアの国立博物館やハーバード大などからなる国際チームが、3万2000年~2万6000年前と推定される亜麻糸の断片をグルジア国内の洞穴から発見したという論文が発表されたという記事が掲載されています。

人類が植物繊維から作った加工品としては、これより古いものは未だ見つかっていません。これをもってリネンは、人類史上最古の植物繊維素材とされています。

 

 

「起源作物」

猿からヒトへの進化が始まって以来600万年ともいわれます。その悠久の時間のほぼ全て、人類は野山の獣を狩り、野草を採取して暮らしてきました。しかし今から約1万年前、人類はいよいよ農耕と牧畜をもとにした定住生活へ移行しはじめました。人類史上における一つのエポックといえます。
この人類史の大転換点において、大きな役割を果たした8種の農作物を称して起源作物といいます。4種の麦と3種の豆、そして残る一つが繊維作物であるフラックスです。
人々が集まって一つのところに定住し、安定した生活を営んでいれば、そこにはいつしか文化が生まれます。そしてそれが一つに束ねられ、文明へと育っていくのでしょう。フラックスとリネンは人類史の大転換点において、大きな役割を果たした農作物であり、繊維素材なのです。

※参考文献
ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」 草思社 2012年2月

 

「リネン文化の繁栄」

 

 

 

 

 

 

「イシス」古代エジプト神話で、フラックスの栽培を人々に伝えたとされる豊穣の女神

 

リネンが文化として花開いた古代エジプト。

人々は美しい光沢を宿した亜麻布を “Woven Moonlight(月光で織られた生地)”と称え、神事や王宮から、庶民の暮らしに至るまで幅広く使用しました。
以来およそ5000年、悠久の時を経て今なおエジプトではフラックスが栽培され、リネンが生産されています。
ヨーロッパとはまた違うリネンの世界がエジプトにはあります。

 

 

資料提供:SEMATEX

 

現在、日本で触れることのできるリネンは、ほぼすべてにヨーロッパ産原料が使用されています。エジプトのリネンは我々が見慣れたリネンとは少し違います。
リネンとはフラックスという亜麻科の植物を原料とする繊維製品の総称です。
収穫したフラックスを水分によって発酵させ、茎と繊維の分離を促すレッティングという工程があります。
ヨーロッパではレッティングに用いる水分は雨露によって賄われています。すなわちフラックスを畑の土の上に並べておき、そこに雨が降り、露がおりて、その水分でフラックスは発酵していくのです。これをデューレッティングといいます。

左:ヨーロッパ産原料 右:エジプト産原料

 

対してエジプトは、国土の90%を砂漠が占める乾燥した国です。降雨に期待できないエジプトでは水を張ったプール、もしくはタンクのようなものにフラックスを沈め、水中で繊維を発酵させます。この手法をウォーターレッティングといいます。

 

資料提供:SEMATEX

この方法は近年ヨーロッパでは、悪臭や、水質汚染の観点から畑 の上で雨露で繊維を発酵させる“Dew Retting”と呼ばれる方法がとられています。
地理的条件の違いから、エジプトでは雨露に頼ることができず、古代の方法がいまでも行われています。
発酵過程において、“Water Retting”は水中で発酵が進むため、フラックス本来の色素が現れ、まるでシャンパンのような美しい金色を呈します。
一方、“Dew Retting”は土の色素を吸い上げるため、ややグレーを帯びたような生成色になります。

 

 


左:古代エジプトの手法と同じ“Water Retting”で加工された生成の糸 右:はヨーロッパの“Dew Retting”で加工された生成の糸

 

ウォーターレッティングはかつてヨーロッパでも一般的に行われていました。水中で発酵が進むとフラックス本来の色味が損なわれず、出来上がったフラックスファイバーはシャンパンのような美しい金色を呈します。
対してデューレッティングでは、土中のバクテリアの影響により、フラックスファイバーは灰色がかった色に変色します。
ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が作曲された当時はウォーターレッティングが主流でした。
すなわち、「亜麻色の髪」はウォーターレッティングならではの美しい金色だったと推察されます。

エジプトはそんな古来のリネンの色を残すウォータレッティングを産業的に行っている地球上唯一の産地です。

リネンにはロマンがあります。これはリネンの大きな魅力の一つです。紀元前5000年のエジプトでも、今日の日本でも、地球上のどこかで誰かがリネンを作っています。エジプトのリネンは、数万年に及ぶ人類史の生き証人ともいえます。